あと半世紀どう生きる?

半世紀どうにか生きてきたが、これからの半世紀を模索する。

香港情勢を片田舎で見守る

TVでも、YouTubeでも、Twitterでもチェックを入れているが、平和と自由を求めるのには、結局「力」がいることに思い知らされる。

本当に微力な学生たちが、極限の抵抗をしているが、警察の弾圧は容赦ない。

TVだけではわからないが、SNSで発信される情報を見れば、常識的な人間だったら、どう見ても警察はやり過ぎだと思う。あの状態で警察の正当性を言い張る人間の頭を疑いたい。もうかなりの死亡者が出ていておかしくない。

結局のところ、他国は内政干渉はできないから、自分たちでどうにかするしかない。ただ平和的にやりたいと理想だけでデモをやっていた学生たちは、自分たちの無力さ感じているはずだ。ここから自分たちの要求を通すことは、ほぼ不可能である。

望みは、大陸政府が気持ちを変えることぐらいだ。

当初は、デモのリーダーがいないことが、今回のデモの早期の弾圧を抑えての、今の盛り上がりの理由だが、これが今回の収拾を難しくしている原因にもなっている。

もう手がない学生たちは、無駄な死や怪我人を抑えるためにも、一時休戦に持ち込む必要がある。しかし交渉に臨めるリーダーがいない。

実質大陸領土である香港に、独立を唱えることも難しい。せめて自治権の要求だが、それを断行する組織やリーダーがいないのは、ここにきて完全に致命的だ。

学生たちは、SNSと世界世論の盛り上がりと大陸本土の人間の思想変化を期待していたと思うが、周りの世界各国は、何もできない。本土のほうは、情報統制と思想統制がしっかりしているので、まるで変化がない。それどころか、本気で学生たちを批判している。

 

人間の命が、本当に軽んじられていて、目の前で踏みつけられている。あまりにも平和に日本で生きてきたが、これほど身近な悲劇は、自分にはなかった。

 

天安門の時は、ニュースで見ていたが、情報が少なかった。今回は圧倒的な情報量で、権力者の横暴を見ることができた。正に悲劇だ。指導者を誤るとどういうことになるか、身に染みてわかった。そしてその権力に立ち向かうためには、「力」がいることを。

 

学生たちひとりひとり、罪のない香港市民ひとりひとりの安全を祈る。

来年の大陸指導者の国賓待遇の招待を反対する。