あと半世紀どう生きる?

半世紀どうにか生きてきたが、これからの半世紀を模索する。

夢を語るなら。

 50過ぎてても何かに挑戦できると、若い頃には思っていた。現実に50歳を超えると、思った以上に体がいう事を聞かない。それでも運動や食事には気を付けていた方だと思うが、目の衰えや胃腸の衰えがキツイ。そのせいで仕事も若い頃以上にエネルギーを使用し、肉体的、精神的ダメージが大きい。家に帰ってきて、何かやろうなんて思っても、本当に体が動かない。

 

 やはり健康は大切。結局は、行動できなければ何も起こらない。行動とは、体が動くという事、他ならない。

 

 若いときも、迷ったり、いざ目の前で足がすくむような事があるけれども、歳をとっての体が動かないのは、物理的と言ったらいいのか、根本的にダメな気がする。

 

 それでもなおやりたい事がいっぱいありすぎて、どれもこれも手がつかない。少し集中して、絞って、結果を出したい。

 

 先ずひとつは、100kmマラソンをもう一度。父と母が高齢だが、まだ練習を含め催しに出れる時間は取れる。あと自分の体力。この限界状態は、もう数年たったら、本当に走れなくなりそうな感じもある。だから今年から始めて、3年後には完走できるよう鍛えたい。体が本当にダメダメだけど、少しは昔のように戻ってくれないかなと思う。

 

 そして英語力。何を血迷ったか、国際結婚をしてしまって、結局上手くいかなくて、子供は現在、米国在住。子供と世間話以上の論争をしたい。そのための英語力。

 

 あとは自分自身食っていくための、ビジネス。定年も近いし、年金はあてにできないし、貯金はないし。今の仕事を退職してから、ボロボロの体でもできるビジネスを構築したい。これは、ハードルが高いが、一番切実な問題だ。

 しかし出来ないことはない。挑戦する動機は明確だし、後は行動するだけだと思うが。

 

 それにしても繰り返しなるが、自分の体が恨めしい。ここまで思い通りにならないのかと悲しすぎる。正直なところ、仕事や日常生活にも支障をきたすレベルになっている。いろんな本やYouTubeなど見て研究しているが、如何せん独りよがりだし、どれがいいのか、悪いかよくわからない。考えたり、あっち見たりこっち見たりいしているうちに時間が経ってしまう。

 

 一番楽で確実な方法が、一つだけ、はっきりしている。

 

 「睡眠」だ。

 

これだけは、近年の健康本やYouTubeでもよく言われていることだ。ほぼ良質な睡眠は必要不可欠らしい。要は、無駄にYouTubeとか見ていないで、早く寝ろとという事。そういう事なので、もう寝ることにします。

 

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田舎に戻って感じた事。

 田舎に戻って1年半以上たつが、戻る前は滅茶苦茶不安だった。先ず戻る理由は、両親の世話。二人とも高齢で、二人だけで暮らすのには不安がある。ただそこに何にも出来ない自分が戻って二人を本当に世話できるのか?仕事はあるのか?田舎の環境に自分が適応できるのか?

 

 もう一つ理由があった。自分の体の調子。どこが特別に悪いわけではないが、なんとなく不調。精神的にも肉体的にも疲れていて、日々が苦し過ぎた。一人暮らしで狭い部屋、稼ぎも悪く、職場もなんとなく居心地が悪い。とにかく体の調子が悪いのが、全てに悪影響を及ぼしていた。環境を変えなくては、心底思っていた。

 

 だから両親の世話をしなければならないのは、いい機会と思い、かなり悩んだが決断し帰ることにした。

 

 結果は、時期的は一番いい時期をえらんだのかも知れない。あと2ヶ月ずれれば新型コロナが流行って、帰るという行為が、もっと難しい環境になっていた。本当にラッキーだった。そして両親も思っていたよりも元気だったのも幸運だった。それに一人暮らしの自分は、かなり身軽だった。それでも10年務めたところを辞めるのは、それなりにしんどいし、引っ越しの整理も面倒だった。

 

 なんとかかんとか整理して、車で名古屋から秋田へ帰った。体調不良の一つに右手前腕の痺れと痛みがあった。特に車の運転する姿勢になるとかなり傷んで、運転が本当に辛かった。でもこんなに長距離ドライブをするのは初めてだったので、気持ちだけは楽しんでいたような気がする。手が痛いので、結構休憩は多かった。

 

 昔から、どんな事も孤独でやってきたが、この生き方は、死ぬまで変わらないな、もう。どうしても人を避けてしまう自分の性格は、半世紀以上も続いているので、今更どうこうするつもりもない。一人の方が気が楽と開き直っている。

 

 12年ぶりの田舎の生活は、これも思っている以上に順調だ。それも両親が元気な事と、両親のこれからを見据えて介護職についたことがよかったと思う。最初、介護が未知数過ぎて、両親2人、自分1人で看るなんて不安でしかなかった。仕事で介護を勉強すると両親の将来が少しずつ見えてきて、不安も一部解消した。それでもなお諸々の不安があるが、一つ一つクリアしている感じがある。

 

 やっぱり何がいいって、食事と空気か! いつの間にか、右手の痺れや痛みがなくなった。これだけでも大収穫だ。体のどこかが痛いのは、気が滅入る。自分は、本当についていると思う。

 

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いつもこの山並みの風景に癒されている

 

香港情勢を片田舎で見守る

TVでも、YouTubeでも、Twitterでもチェックを入れているが、平和と自由を求めるのには、結局「力」がいることに思い知らされる。

本当に微力な学生たちが、極限の抵抗をしているが、警察の弾圧は容赦ない。

TVだけではわからないが、SNSで発信される情報を見れば、常識的な人間だったら、どう見ても警察はやり過ぎだと思う。あの状態で警察の正当性を言い張る人間の頭を疑いたい。もうかなりの死亡者が出ていておかしくない。

結局のところ、他国は内政干渉はできないから、自分たちでどうにかするしかない。ただ平和的にやりたいと理想だけでデモをやっていた学生たちは、自分たちの無力さ感じているはずだ。ここから自分たちの要求を通すことは、ほぼ不可能である。

望みは、大陸政府が気持ちを変えることぐらいだ。

当初は、デモのリーダーがいないことが、今回のデモの早期の弾圧を抑えての、今の盛り上がりの理由だが、これが今回の収拾を難しくしている原因にもなっている。

もう手がない学生たちは、無駄な死や怪我人を抑えるためにも、一時休戦に持ち込む必要がある。しかし交渉に臨めるリーダーがいない。

実質大陸領土である香港に、独立を唱えることも難しい。せめて自治権の要求だが、それを断行する組織やリーダーがいないのは、ここにきて完全に致命的だ。

学生たちは、SNSと世界世論の盛り上がりと大陸本土の人間の思想変化を期待していたと思うが、周りの世界各国は、何もできない。本土のほうは、情報統制と思想統制がしっかりしているので、まるで変化がない。それどころか、本気で学生たちを批判している。

 

人間の命が、本当に軽んじられていて、目の前で踏みつけられている。あまりにも平和に日本で生きてきたが、これほど身近な悲劇は、自分にはなかった。

 

天安門の時は、ニュースで見ていたが、情報が少なかった。今回は圧倒的な情報量で、権力者の横暴を見ることができた。正に悲劇だ。指導者を誤るとどういうことになるか、身に染みてわかった。そしてその権力に立ち向かうためには、「力」がいることを。

 

学生たちひとりひとり、罪のない香港市民ひとりひとりの安全を祈る。

来年の大陸指導者の国賓待遇の招待を反対する。

30年前の漫画「沈黙の艦隊」の衝撃! 今の日本と隣国を描いている?

今週のお題「好きな漫画」

沈黙の艦隊」 かわぐちかいじ

当時(1988年頃)、日本の自衛隊がそこまで、日本人左派に嫌われているとは思っていなかった。私は東北の片田舎で、共産党の支持の地盤だが、自衛隊自体は、尊敬の位置づけにあったと思う。

現に私の叔父さん2人は、定年まで自衛官を勤めあげたし、私の父も4年ほど自衛官で、退官後も予備自衛官をやっていて、小さいころの私は、自衛隊に何の違和感もなかった。私も1年半ほどその関係に所属したこともある。家には、よく父が自衛隊の非常食の缶詰や乾パンなどを持って帰っていた。私もよく食べた。

 

ちょっとした違和感は、高校生ぐらいからあった。こちらから攻撃をできないのは、大丈夫なのか?とか、あとは税金泥棒的なことを言われること。当時は、攻撃どころか、威嚇射撃もニュースになるぐらいだったから変なご時世だったと思う。

 

今でも自衛隊論議憲法改正論議は、正面(まとも)とは思えない。

太平洋戦争を負けた痛手は、かなり大きいと思う。

自分は、ただの庶民、なんの政治や歴史も勉強していないが、常識的にこれらに関しては変だと思う。戦争の痛みを受けていないせいだろうか?

 

とにかくそんな感覚の高校生だったが、卒業後関東に出てきて、自衛官に対しての、さらなる大きな非難を左派と思われる人々から聞いた。そして自衛隊の日本における本当の立場を知ることとなった。そんな時に週刊モーニングで連載されたのが「沈黙の艦隊かわぐちかいじ氏の作品である。最近では、実写映画化された「空母いぶき」という作品も話題になった。軍事物は、かわぐち氏の得意とするところである。

 

この中で、興味を引いたのが、潜水艦同士の戦い。見えない相手とどう戦うか?全く自分の想像出来ない世界なので、とても面白かった。

 

潜水艦は、海の中の戦いで自分の航行音まで消し、相手に近づき、あるいは相手を近づけさせ相手を撃退する。つまり攻撃兵器だけでなく、艦全体、海流の動き、戦域の地形、そしてなによりも音を利用して作戦を遂行する。その探り合い、思考、作戦の組み立てなど、全てが自分にとって新鮮で且つダイナミックに展開するので、終始ワクワクドキドキだった。

 

また当時の政治状況、世界情勢、日本のこれまでの立場などが織り込まれ、時事ネタ好きの私にとって、作品の示す政治的見解にとても興味が引かれた。戦闘シーンだけでなくそういった所も私がのめり込む理由である。ネタばれとなってしまうが、(以後気になる方は、読まないで下さい)



潜水艦の名前が「やまと」そして、その艦が独立国家として独立を宣言するという斬新なストーリー。毎週、週刊「モーニング」を買わないわけにはいかなかった。後半は、ちょっと飽きてきたのか立ち読みで済ますことも多かったが。(笑、ごめんなさい)

 

スタート当初の1988年昭和63年は、昭和天皇崩御の前の年、ソ連がまだ存在、ゴルバチョフ書記長がペレストロイカ(政治改革運動)をはじめた年、台湾では、蒋経国総統が死去、「李登輝」氏が後任となった年。湾岸戦争と言えばジョージ・ブッシュ米国大統領だが、この年の就任である。歴史の転換点が始まろうとするような年に「沈黙の艦隊」は始まったのである。

 

さて「沈黙の艦隊」は、英語の「The silent service (潜水艦部隊)」からきているいと思うが、その後に映画でスティーブン・セガール主演の沈黙シリーズが始まる。「沈黙の艦隊」とは全く関係ない。私は、その命名が間違いなく「沈黙の艦隊」からのパクリだと思っていた。今ではセガール沈黙シリーズのほうが多いし有名なので、「沈黙の艦隊」もセガールの映画?と思ってしまう人もいるのではないかと心配する。かなり余談だが。

 

また当時、日本では禁句であった核武装にも踏み込んで描かれていて、核の本質をついた展開が存在する。また今はあまりにも政治的に弱い立場の現実の日本だが、漫画の中の潜水艦「やまと」は核武装しているかもしれないという憶測だけで、アメリカを恐怖させている。まるで今の北朝鮮を想像させる。日本のアニメが好きと噂されていた、北の指導者もこの漫画あるいはアニメを見ていたかもしれない。現実の国際政治は、軍事力が背景にあるのは隠せない。

 

「やまと」と言えば、太平洋戦争を知る人にとっては、戦艦「大和」だが、私の世代は、アニメ宇宙戦艦「ヤマト」である。その後に登場した漫画の中の原子力潜水艦独立国家「やまと」。「やまと」という言葉に注目したい。歴史的に「日本」とこの国が呼ばれる前は、「大和」と呼ばれたと言われる。また「大和魂」と言えば、私は日本の心意気と感じる。そして沈黙もまた日本の美学である。外国人に対して沈黙は良くないし、理解されないが、日本人同士であれば、「何も言わなくてもわかる。」聞こえなくても見なくてもわかるが日本流である。

 

そして何も聞こえなくても、相手艦隊を確実に撃沈する「沈黙の艦隊」は、正に日本流。

 

噂によると、今の日本の潜水艦戦力は、原潜であらずとも世界のトップクラスにあると言われている。

 

それだけでは、とても国の軍事力と言えないが、もし原潜があって核を搭載すれば?今では、現実に議論されてもおかしくない。漫画発表当時は、夢物語、ファンタジーですまされる感じもあった。

今でもまだ原子力、核というと拒絶反応する日本である。当然である。太平洋戦争では、2つも落とされた。戦後、潜水艦ではないが、日本でも「原子力船むつ」が建造、浸水されたが、放射能漏れ事故のため頓挫した。また東北大震災での福島の原発の事故、以前も「高速増殖炉もんじゅ」のナトリウム漏れの事故からの長年のドタバタの末の廃炉東海村JCO臨海事故など原子力については事故が起こる度に論議される。安全保障もからめると問題はさらに複雑になる。

 

「空母いぶき」も突っ込んだ作品だが、この「沈黙の艦隊」も今発表されても間違いなく注目される作品だと思う。

 

この漫画の中には、今リアルタイムで議論をしなければならない話題がたくさんある。そしてその中心に「やまと」という言葉がある。言霊の国に住む私達は、その響きに反応しないわけがない。国家防衛の問題も避けて通れない。これは、沈黙だけでは解決できない問題。混沌とする日本社会、そして世界情勢である。再読してみたいと思う。

 

全く最後まで、介護と関係なかった。(泣)

 

相手が見えないという所から、ハンデキャップ論議、介護の話題となるはずだったが、今日はギブアップ。とりあえず沈黙する。

母の脳には諦めているが、でも何か回復の手段は無いものか?

 

今日、母は女だけの同級会に向かった。女子会?母の女の同級生の皆さんが温泉宿に集まってお食事会だ。母は、小範囲ならまだ1人で行動できる。しかしちょっと危ないのは危ない。ただ全ての行動を制限すると、ますます脳の機能の低下になるので、大丈夫と私が思ったところは行かせてみる。他の皆さんにご迷惑がかからないように祈りながら。

 

ちなみに昨日は美容院に行ったが、特に問題はなかった。出るときに突然床屋から美容院に変更したり、財布の置き場所を忘れていたが、それぐらいだった。

 

今朝は、またも財布の置き場所問題発生。そして出発時間、一緒に行く人、お金を持ったかどうかを何度も確認。

 

私は母に、朝の10時に出ると言っている。しかし10回以上、時間前に出ていこうとした。

その時「〇〇さん(母の友達)の家に寄る。」と母は言い張る。ところが今回は一緒に行かないので「〇〇さんは行かない。」と私は何回も答えなくてはならない。そして母は、財布が見つかった後、財布の中身を何回も確認することになる。

 

やはり、自分の思い通りにならないことにイライラするらしく、後半になると、ついに母は「行かないことにすればよかった。」とこぼすようになる。これも何回も言う。

 

父と私の二人でその度に、優しく受け答えをするのだが、ちょっと大変。TV番組でたまに知的障害の人を見るが、その受け答えを見ると、ああ、こんな感じだと思う。

 

母に何かメモとか取るような習慣があったら、よかったのかなと思う。私もあまりメモをとらないし、日記とかも書かないタイプなので、私の将来のためにメモや日記を付けるようにしたい。まあ、このブログもその一環である。

 

母は、腰は少し曲がってきたが、体はまだまだ元気だし、父よりも動ける。しかし、もう食事の用意もしなくなった。父が食事の用意をする。まだ母は、自分自身がほとんどやっていると思っている。だから食事用意をする父を、「今日は、父さんがやった。」という表現で私に主張する。「そうなんだ。」と私はいつものように軽く受け流す。

 

今日の母の集まりも、どういう状態なのか見ておく必要がある。自分の家の中だったら、家庭内のことだが、外に出ると他の人の迷惑になる。結局今回はできないが、機会があったらのぞいてみようと思う。

 

最近は、「歳をとっても脳は、鍛えられる。」と言うが、来年80歳になる母はどうなのだろうか?

ちょっとしたことでも、ムキになる母親

昔からそうだった。歳をとったせいではない。ただこれが歳をとればとるほどきつくなるのは、一緒に住んでいるものにとってつらい。でもよく考えると自分もよくムキになる。それでどれだけ人間関係を損ねているかわからない。

 

何か自分にとって不利なことがあったり、間違いを指摘されると、途端に声が大きくなり、持論を展開する。端で見ていると滑稽だが、本人は気づかない。母も自分も同じだ。どうしてもっと声を穏やかにできないのか?または優しい言葉を選べないのか?と思う。

 

その時の自分の脳や母の脳は、早く自分の正当性を証明するために攻撃体制に入っているのだと思う。これは反射的に始まるので、抑えられない。そしていざ始まると止めることもできない。結局相手も気まずいし、自分も気まずい。いいことがない。

 

絶対、やめたほうがいい。

 

母にこれを要求するのは、もう無理だ。年齢的にも、性格的にも絶対無理だ。もうこれは、我慢するしかない。

 

問題は、自分だ。自分は、もう半世紀近く生きなくてはならない。自分がダメと思ったことは、治さないと。しかし反射的反応。けっこう難しい。何事も挑戦。やるしかない。

最近、いろんなことに時間をかけ過ぎ。

自分は、もともとあまりパッパッとできない人間だ。とりかかるのも遅いし、やるのも遅い。変にこだわったりするので、結果のバランスも悪い。本当に仕事のできないタイプって感じ。時折本当に自分が嫌になる。

 

自己啓発系の本には、先ず自己肯定しなければならないことを書いているが、自分にはそれができない。自分を客観的に見てダメだから、どうしていいかわからない。根拠のない自信説にすがりたいが、それも難しい。

 

やはり少しずつ結果を積み上げて、自信をつけなくてはならない。

 

今、一番の悩みは、時間がちょっと足りない。昔は、体力に少し自信があったので、多少の無理がきいた。今はもう、体のあちこちが痛かったり、うまく機能しなかったり、ちょっと無理をすると、パフォーマンスの落ちが半端ない。もともと低下しているものだから、そこにさらにマイナスするから、まるでダメだ。だから体力をキープするには、絶対に無理はできない。

 

すると、何をするにも時間が足りなくて、もうタイムアップで途中で投げることになる。ダメ男がダメダメ男になって、もうなんともならん。本当に嫌になる。

 

パッパッとやってた時も、少しはあったんだけど。自分の全てを変えたい。

 

DNAのせいもあるかもしれんが、たぶん大部分は、今までやってきた、考えてきたことの結果だろうから、誰のせいにもできない。

 

前回の話ではないが、毎日少しずつ変えていくしかないのだろう。やるしかない。ちょっとづつ。